水城せとなさんの「失恋ショコラティエ」を読んだ
※ネタバレしてます。
第一巻、めくったとたんに目に飛び込んできたモノローグが、早くも重い。
もしも生まれ変われるなら
彼女の赤血球になりたいあの皮膚の下をゆらゆら流れ続けて
彼女の体のすみずみまで旅をするんだ
そう語る主人公、小動爽太が高校時代の先輩であるサエコさんに向ける執念は相当なものだ。
高校時代に一目ぼれし、それからサエコさんに近づくために努力を重ね、二股をかけられても、フラれても、彼女が結婚しても、好きな気持ちには関係ないと恋心をじっくり煮つめている。
彼女はチョコレートが大好きだ。だから、爽太は彼女に振り向いてもらいたい一心でチョコレート作りの腕を磨き、製菓学校を卒業した後はフランスに飛んで修行をする。日本に帰ってからも爽太の作るチョコレートは高く評価され、とうとう自分の店を持つことになる。
爽太の原動力となったヒロイン・サエコさんはいったいどんな人なのか。
さぞかし非の打ちどころのない素晴らしい女性なのかと思いきや、外見は至って普通(とはいえ十分可愛らしい)で、えっちしてないから付き合ってないよね?と言い放ち、イケメンをとっかえひっかえ渡り歩き、最終的に有名雑誌の副編集長と結婚したという小悪魔的魅力を持ったモテ女である。
ヒロインでありながら、いかにも同性受けしなさそうなスペックを兼ね備えた彼女は、結婚後も思わせぶりな発言で爽太の心を揺さぶり続けるので、読者は気が気でない。
そもそも、もし爽太の思いがめでたく成就し、彼女と結ばれたところで二人は幸せになれるのだろうか。
彼らがどれだけ思いあったところで、結局は不倫関係にしか行き着かない。けれど、爽太はそんなことを物ともせず彼女を思い続けるのだ。
俺おかしいかな
・・・誰にもわかってもらえないかもしれないけど
これでも本当に好きなんだよ
向こうからこっちに寄ってくるように
いっぱい罠を仕掛けなきゃいけないんだよ
俺はもっと、悪い男にならなきゃいけないんだよ
一般的な倫理観を簡単に飛び越え、振り向いてもらおうとする爽太は正しくないかもしれないけれど、とにかく強い。彼の思考は時に受け入れがたくも感じるけれど、理由は何であれ、ショコラティエとして貪欲に上を目指す姿がまばゆく輝いていることに変わりはなく、主人公としての魅力をぞんぶんに持っている。
そういったサエコさんや爽太への反感、羨望、嫉妬……読者のなんとなく釈然としない思いを代弁してくれるのが、爽太の同僚、薫子さんだ。
薫子さんは、爽太に片思い中の年上の女性。爽太にも、爽太のチョコレートにも魅せられている薫子さんだが、告白する勇気はなく、傷つかないくらいの距離で少し遠巻きに爽太の恋愛を眺めている。
日々、爽太の思いの強さを見せつけられながら、なぜ爽太はサエコのことが好きなのだろう?普通の女なのに、きっと振り向くこともないのに、と繰り返し問い続ける。
第一巻のラストで、薫子さんは爽太の恋心をこう語る。
なんかね
爽太くんがこんなに頑張ってることも
結局サエコさんのためなんだと思うと
悲しくなるよ
全部捧げられているみたいで
サエコなんて大した女じゃないのに
そんな薫子さんの言葉に、同じく同僚のオリヴィエはこう返す。
ソータがサエコを好きになったことでこんなお店が出来たのなら
それはすごく価値のある恋愛だよ
僕は認めるよ
その恋の価値を、僕は認める
爽太がサエコさんに向ける悶々とした思いはボウルの中に溶け込んで混ざり合っていく。行き過ぎた片思いは、爽太の手で美味しいチョコレートに変わることでようやく存在意義を認められる。
チョコレートの香りに包まれると
否応無く彼女のことが頭に浮かぶ
俺も煩悩の塊みたいな男子の一人だから
全身邪な野望で満ち満ちてるよ
神経を研ぎ澄ませてありったけの情熱を注いだ俺の分身みたいなショコラを
彼女の口に含ませたい彼女の体の中に注ぎ込みたい
彼女の細胞のひとつひとつにまで染み込ませたい
そんな淫らな野心が
いつのまにかこんなところまで俺を連れてきたんだ
どうしようもないね
「どうしようもないね」
そう思いながら、サエコさんのために作り続けた爽太のチョコレートは、たった一粒で食べた人の心を軽々とすくい上げていくのだ。
最初の方で、サエコさんは同性受けしないヒロインだろう、と書いた。
けれど、サエコさんに感情移入できない人であっても、サエコさんがチョコレートを口にするシーンには惹きつけられてしまうに違いない。
サエコさんは嬉しいときにも、苦しいときにもチョコレートを食べる。
夫と喧嘩をし、お風呂場で声を殺して泣いたサエコさんは、一粒のチョコレートを選んで、口に運ぶ。
サエコさんが無防備にすがり、支えるのは、夫でも、友人でも、親でもなく、爽太の作ったチョコレートなのだ。チョコレートなら、誰にも分かってもらえない私の思いを受け止めてくれる。
そんな声が聞こえてくるような数ページ。サエコさんは確かに私たちの中にいるのだと思った。
「失恋ショコラティエ」には、主人公たちの他にもいくつかの恋愛が描かれているけれど、出てくる人たちは一様にどこか寂しい。
彼らの恋愛は孤独だ。想う相手はいるけれど、自分の心は自分だけにしかわからないと思っている。恋は相手に見せられるほど美しいものではないと知っている。だから、相手に感情をぶつけることに臆病で、理解してもらえるなんてことは期待すらしていない。諦めから始まった恋愛には、いつまでも孤独と駆け引き、疑心暗鬼が付きまとう。
誰かといるのに、どこか寂しい登場人物たち。
不幸なわけじゃない。客観的に見たら十分幸せなのかもしれない。
けれど、寂しいのだ。
寂しさをチョコレートで紛らわせ、ときには隣にいるだれかと刹那的に慰めあう。
永遠に独り相撲をしているような、言いようのないむなしさがこの物語には満ちている。
恋はアートじゃない。人生そのもの
過酷でドロドロに汚れるものだ
そう、オリヴィエが言うように、お世辞にもキレイとは言い難くドロドロしている彼らの日常。
だから、おもしろい、と言ってしまうにはこのマンガはやや苦すぎるかもしれないなぁと思う。
恋をしたから幸せになれるわけじゃない。恋が実ったから幸せになれるわけじゃない。
遠い昔、キラキラと輝いて見えた恋愛だって、すでに痛くてイタいものなのだと知ってしまっている。
それを、何よりもきらめいていたはずの少女マンガで改めて突きつけられるのは思った以上に苦い。
今のところ、彼らの話がどうやって着地するかは全く分からないけれど、せめて登場人物みんなに、寂しさを分かち合える人がいて欲しい。そんな風に願わずにいられない。
ドロドロした片思いと艶めいたチョコレート。
一見、相反するような描写が絡み合い、自然と重なりあっていくことで、より一層混沌が深まる不思議な構成。
彼らの恋愛にぎゅっと胸を締め付けられたあとに、爽太の作る美味しそうなチョコレートが、どんな恋だって無駄じゃないと優しく受け止めてくれるもする。
片思いだって、失恋したって、向き合えばどこかにたどり着けるのかもしれない。
共感できなかったはずの彼らの恋愛を読みながら、これまでゆっくりと風化させてきた美しくもない思い出を、そっと労わってもらったような気がした。
苦くてほんの少し優しい。だから癖になる。このマンガはそんな魅力を持っているように思った。
ちなみに、私は水城せとなさんの作品だったら「失恋ショコラティエ」よりも「窮鼠はチーズの夢を見る」の方がずっと好きでした。少女マンガレーベルだったので、ページめくってBLマンガだったことに最初は驚きしましたが、引き込まれて読み切ってしまいました。
心情描写の細かさと切れ味、言葉選びの的確さといった持ち味も冴えていたし、巻数が少ないというのもあってか、テーマやメッセージが凝縮されていてグッときました。
ただし、いろんな点で「失恋~」より描写は濃いめだったので苦手な方はご注意ください。
「窮鼠~」はなあなあで流されるままに生きてきた三十路男と、執念深く主人公に片思いし続けていたゲイの後輩との恋愛を描いたマンガ。
うだうだと考えつつ、ぼんやり楽な方向に流されていく主人公にイライラする人も多そうですが、男と付き合うなんてことを考えたこともなかった主人公だけに煮え切らない態度が妙にリアル。主人公は冷静に考えるとずるずると不倫するわ浮気するわでかなり最低の男なんですが、それだけに「逆らえないから」と相手に責任を押し付けながら、男同士の深みにはまっていく感じもなるほどなぁ……と。
後輩側が主導権を持っているのかと思いきや、後輩は主人公のことが大切すぎてどうしても強く出れなかったりと、二人の攻防はかなりスリリング。
BLと言いつつも女性ががっつり出てきて恋愛するし、男女ともに性格が美化されすぎていないのもすごく好き(女の子は若干いい子すぎたけれど)。
「窮鼠~」も良かったけれど、続編&完結編の「俎上の鯉は二度跳ねる」の終盤の言葉選び、切れ味は最高。
手放しで明るいわけじゃないけれど、別に暗いわけでもない。そういうさじ加減も好みでした。
「失恋~」を読もうと思って偶然読んだんですが、めっちゃよかった。初めてBLマンガ買ってもいいかな?って思うくらい良かった。とりあえずもう一回読んでみてから考えようかなぁと思ってます。